お世話になった叔父

僕の叔父は現在61歳。独身で子供はいない。

そのため、小さい頃から本当にお世話になった。おばあちゃんと叔父は一緒に住んでいた。実家に残っているというよりは、叔父がおばあちゃんを養っているという感じだった。その家の叔父の部屋には目新しいものがたくさんあった。

スーパーファミコンの「桃太郎電鉄」をよく一緒にやったのを覚えている。料理人になりたいという夢もあったせいか、正月には美味しい料理を振る舞ってくれた。

ギターを弾くのが趣味で、教わったりもした。

ふざけることも好きで、よく笑わせてもらった。

父親が他界してからもいろいろと援助してもらったりしていたので、僕が母子家庭でも比較的不自由なく暮らせたのは、叔父のおかげでもある。

僕と妹は「このまま独身でいてほしいよね」なんて自分勝手なことを言っていた気がする。

そんな叔父は、かなり壮絶な幼少期を過ごしている。

自虐ネタのように叔父は話してくれるが、母から聞く限りかなり壮絶だったと思う。

まぁ、母も同じ家庭で育っているのだが、、、、。

母は3人兄弟の長女、叔父はその次に生まれた長男である。その次に次男。

父親(僕のおじいちゃん)は毎日仕事もせず、昼間から酒を飲んだくれている。無くなれば買いに行かされていたらしい。幸い暴力や暴言はなく、ただただ毎日何もせず酒を飲んでいたらしい。

母親(僕のおばあちゃん)は朝早くから仕事に行ってしまうので、みんなのお弁当は僕の母が作っていた。

おばあちゃんは、長男だからなのか叔父にものすごく厳しかったらしい。

テストで98点を取って帰ると、

「あと2点どこで落としてきた!!!」と怒られる。

80点でも取ろうものなら、お風呂のお湯に顔を突っ込まれて怒られていたと、、、。

お姉ちゃんや弟は同じ点数をとると褒められるのにだ!

どんな思いだっただろう、、、。

あんなに僕には優しかったおばあちゃんと同一人物とは思えない。小さい頃はちょっとその頃の名残があったような気がするが。

それだけ厳しかったせいか、叔父の成績はトップクラスだった。勉強ばかりしてきたからなのか、コミュニケーション能力はあまり高いとは言えない。

高校を卒業したら料理の専門学校に行きたかったみたいなのだが、家計を助けるために就職の道を選んだ。

大人になっても僕の母と叔父の関係は良好だったのだが、叔父と次男はものすごく仲が悪かったらしい。次男は結婚するときに叔父になんの挨拶もせず、おばあちゃんの世話を押し付けて出て行ってしまった。

叔父にしてみれば面白くなかっただろう。

そこから20年くらい顔を合わせることなく、次男は病気により42歳という若さでこの世を去った、、、。

血のつながった兄弟なのに、なんだか寂しいなと僕は思った。なんとか和解できなかったのか。

おばあちゃんは叔父の稼ぎがあったから、結構いい暮らしができていたと母は言っていた。叔父は優しい人なんだと思う。おばあちゃんへの恨みもあったと言っていた。それでも20年以上面倒をみてきたのだから。

おばあちゃんが些細なことでも僕を褒めてくれ、商店街の人たちに自慢している姿は、叔父の目にどんな風に映っていたのだろう。

一体どんな気持ちだったのだろうか。

そんなことを思ってしまう。

おばあちゃんは突然亡くなった。

お通夜の日、母は涙を流していた。だが、叔父が涙を流すことはなかった。

ここからは僕の勝手な想像だけど、叔父は自分の気持ちを伝えたかったんじゃないかなと、、、。

「もっと褒めてほしかった」

「自分にももっと笑顔を向けてほしかった」

「もっと愛してほしかった」

いや、本当僕の勝手な想像だけどね。

僕自身叔父には本当にお世話になってきたので、感謝の気持ちでいっぱいである。

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