僕の母親の名前はマサヨ。現在64歳。
喜怒哀楽が激しいが、明るく陽気な性格は今も変わらない。
昔はそんな母親の性格が嫌でたまらなかった。
よく喧嘩をしたものだ。
小学生の頃からやたらとでしゃばってくる。サッカーチームの練習日の当番のときや行事で学校に来るとき、友達が家に遊びに来たときなど、シチュエーションは多々ある。
見た目も若かったので、それも嫌だった。僕は舟さん(サザエさんのお母さん)のようなお母さんに憧れていたのだ。
うちの母親は全然違う。どちらかというとサザエさんのほうだ。
僕の友達が家に遊びに来たときには、腕相撲を申し込んだり元気よく「いらっしゃい」と声をかける。心の中で八百屋じゃねーんだからとイラついていた。
声をかけるだけならまだいいが、部屋に居座ろうとする。「早く向こう行けよ!」という言葉を一体僕は何回言ったのだろうか、、、。
何回言っても変えようとはしないんだが、、、笑。
そのような出しゃばりコミュニケーションもあってか、僕の友達にはわりと人気があった。
となると母も調子に乗り、さらにふざけたりするようになる。友達は面白がり、さらに人気が上がる。
僕にとっては最悪のサイクルが回り出す。
舟さんから遠ざかるばかりじゃねーか!と。
中学生になっても高校生になってもその感じは変わらず、ヤンキーだろうとマジメくんだろうと構わず話しかける。パンチパーマの友達の頭を撫で回しているときは、目が点になったのを覚えている。そして意外と笑顔で撫でられている友達の顔も、、、。
「お前の母ちゃんおもしれーな」とよく言われたもんだ。
高校を卒業し就職して社会人になる頃には、そんな母があんまり嫌ではなくなっていた。
母とよく喧嘩もしたし、ウザいと思ってた時期も多々あったが、不思議と会話はあったような気がする。
当時を振り返りうちの母は「あんたも色々と大変だったけど、話さないってことはなかったわね」「あんたもおしゃべりだからね」と言っていた。
「喜怒哀楽が激しくて、おしゃべりなのはあんた譲りだよ」と心の中で、、、いや、口に出していた。
19歳で初めて彼女ができたときも、すぐに報告し、家に連れてきたことを覚えている。「きっと喜んでくれる」と思ったのだろう。
「いらっしゃい」
相変わらず八百屋のようなお出迎えだったが、彼女は「明るくていいお母さんで良かった」と安堵の表情を浮かべていた。
20歳を過ぎ、結婚して実家を出るまでは、よく友達を家に連れてきていた。仲のいい地元の友人たちはうちの母を名前で呼び捨てにする。
そんな母親はレアじゃないか!笑
「お前の家ってなんか居心地がいいんだよなぁ」
「マサヨって変わんねーよな」
友達からそう言われるたびに嬉しい気持ちになっている自分がいた。小さい頃イラついてた自分とは大違いだ。
僕が中学2年生のときに父親が病気で他界しており、そこからは母子家庭だった。
今だから言える話として母から聞いたのだが、当時明るい性格の母のことを誹謗中傷する人もいたらしい。
「旦那が亡くなったのによくあんなヘラヘラしてられるわね」といったことを陰で言いふらしているクソ親がいたと、、、。
でもそんなことは気にしている暇はなかったと母は言っていた。
「これから先この子たちを育てていかなければならない」
「落ち込んでいる場合じゃない」と。
妹が早くに結婚して家を出ていたため(この妹がまた大変だったんだわ^^;)、しばらくは二人での生活が続き、「あんたはいつ出ていくの」とたまに小言を言われながらも、31歳で僕は結婚をした。
僕は結婚式でどうしても感謝の気持ちを伝えたく、新婦と同様に新郎から母親への手紙の時間も設けてもらった。
母はポロリくらいだったかな。
あとでDVDを見返すと、僕の親友と妻のお父さんが泣いていたのが見えた、、、。
僕じゃなくて母と写真を撮っている友人もいた。
「やっと肩の荷がおりたかな、〇〇ちゃんのこと幸せにしなさいよ!」と嬉しそうな顔をしてた気がする。
友人たちも仕事が忙しかったり家庭を持ったりと頻繁には会えなくなったが、久々に会うと決まってみんなこう言う。
「マサヨ元気?」
それもこれも、あの性格の賜物だろう、、、。
僕の母は昔から友達を差別するようなことはしない!
「〇〇君とは遊ぶな」みたいなことは言われたことがない。だから僕も友達の話をよくしていたのかもしれない。
ガキの頃あんなに嫌だった母の性格が、今になってみると「良かったな」って思える。果たして当時本当に嫌がったのかという疑問すらある。
面白いもんだね。
「長生きしたくない」
「あんたたちに迷惑かけたくない」
とよく言っているが、、、
僕としては元気に長生きしてもらいたいなって思うんだな。
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