ゆっくんです。仕事したり、漫画読んだり、投資の勉強をしたりしています。
今回ご紹介する本はこちら↓
『漫画 君たちはどう生きるか』です。
著者の吉野源三郎さんは1899年〜1981年の間を生きた編集者・児童文学者であり、本書が出版されたのは1937年。なんと今から86年も前になります。
今もなお読まれている歴史的名著です。
宮崎駿監督10年ぶりの新作として、2023年7月14日にジブリ映画として公開されます。
池上彰さんも感動の名作として紹介されています。
「君たちはどう生きるか」という壮大なテーマ。
「なんだか難しそう」
「哲学的な本じゃないの?」
という風に思っている人もいらっしゃるのではないでしょうか、、、。
ですがご安心ください!
漫画版になっていることで、子どもから大人まで読みやすい内容になっています。
舞台は1937年の東京。主人公は14歳の少年コペル君(本名:本田潤一)。
「僕は大事な友だちを裏切ってしまった」
と熱を出し、泣きながら頭を抱えているコペル君。そこに母親の弟、つまりコペル君の叔父さんから一冊のノートが渡されます。
渡されたノートにはコペル君の気づきや発見したこと、叔父さんのアドバイスが綴られています。
このノートをもとに、身近で起きているいじめや貧困とどう立ち向かえばいいかや、人と人のつながり、立派な人間になるにはどうすればいいのかなどの答えを見つけていく。
そんな物語です。
きっと中学生、高校生の方たちにとっては似たようなことが身の回りで起こっていたりするのではないでしょうか。
本書はとても考えさせられ、僕自身10代の頃に読みたかったと思うようなオススメの作品です。
少しだけ僕が好きなポイントを紹介しますので、気になった方はぜひ読んでみてください!
人同士のつながり
「人間って分子みたい」その一言から叔父さんは潤一君にコペル君というあだ名をつけます。コペルニクスのような発見をしたからです。
そしてコペル君は、自宅に置いてあった粉ミルクの缶をきっかけに一つの発見をします。
それが「人間分子の関係、網目の法則」というもの。人間分子は、大勢の人と知らないうちに網のようにつながっている。経済学や社会学でいうところの「生産関係」のこと。
自分が生きていくために必要なものを、知らない誰かが作ってくれ、運んできてくれる。そうして自分のもとに届いている。そうやって人間はつながっている。
誰一人としてこの網目から抜け出すことはできないのだ。
もしかしたら、普段歩いているときすれ違っている人とどっかでつながっているかもしれないよね。
へんなことかもしれないがこれが世の中の事実。でもそのつながりはまだ人間らしくなっていない。争いも起きるし、人を傷つける事件も起きている。
それは決して人間らしい関係とは言えない。
では人間らしい関係ってなんだろう?
僕は家族のために何かして報酬を欲しがったりはしない。家族が喜んでいる姿が見られるだけで、嬉しくて幸せな気持ちになる。
人間が人間同士、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。そして、それが本当に人間らしい関係だと、コペル君、君はそう思わないかしら。
そんな世界になったらどれだけいいか、、、。解決できていない難しい問題はたくさんあるけど、自分に何ができるか考えて行動することは、とても大事なことだと思いました。
貧困ということ
ある日コペル君は、体調不良で学校を休んでいる浦川君の自宅に様子を見に行きます。
そこで目にしたものは、赤ん坊をおんぶしながら働いている浦川君の姿だった(浦川君の家は豆腐屋さん)。
学校ではいじめられていて目立たない浦川君が、一生懸命家のために働いていることにコペル君は感心します。
貧しくても信念を持ち、そこに引け目を感じず生きている立派な人もいます。
貧しい人を軽蔑してはいけない。人間の価値は裕福とか貧しいとか、そいうことでは決められないのだ。
でも僕はこうも思う。
貧しいからといって何もせず、そこから這いあがるための努力もしないというのは違う。「自分は自分」なんて言っているのは逃げだ。
向上心がなければ、人は学ぶことをやめてしまう。もし僕の子どもが貧乏になってしまったら、それは間違いなく僕の責任だ。そうならないために努力しなきゃと思った。
そして決して裕福ではないが、貧乏でもなく育った自分の境遇に「ありがたい」と感謝しなければならない。
そんなことに気づかされました。
過ちを認める
自分の過ちを素直に認め、謝罪することができる人は偉大である。
ある事件でコペル君は「大事な友だちを裏切ってしまった」とひどく落ち込みます。みじめな自分の姿にとても苦痛を感じます。
でもその苦痛を感じることこそが人間らしさなのだ。
生きていれば、望んでいない苦しみやつらいことに出会うときもあります。
僕はつい最近転んで膝を強打し、三週間くらいとても歩くのがつらかった。本来普通に歩くことができるからだ。普段歩いているときに「今日もちゃんと歩けている、ありがとうございます」と感謝している人は、そう多くないと思う。
当たり前にできていることにもっと感謝しなくちゃいけないなと思いました。
心やからだに感じる苦痛や苦しさは、自分が正常な状態ではないということを教えてくれるのだ。
叔父さんはノートにこんな言葉を書き記しています。
人間が本来、人間同志調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができよう。お互いに愛しあい、お互いに好意をつくしあって生きてゆくべきものなのに、憎みあったり、敵対しあったりしなければいられないから、人間はそのことを不幸と感じ、そのために苦しむのだ。
そして人間らしい苦痛の中でも、いちばん難しいことがある。
それが「自分の過ちを素直に認める」ということです。
「自分の過ちを認めたくない」
「素直に謝ることができない」
「言い訳してしまう」
こいうことって日常であったりしますよね。僕もあります。
そんなとき、素直に過ちを認めて行動に移せる人間こそ偉大なんだよね。器が大きい人間だって言われるんだよね。
僕はまだまだ小さな人間だ。今からでも遅くはない。そんな自分を変えていこうと心に誓いました。
感想
僕の息子はまだ5歳ですが、いずれ本書を読ませたいと思っています。
長く読み継がれている本には、いつの時代においても変わらない大切なことが書かれている。本書はまさにそんな作品です。
人間関係の悩みや、世の中に対する疑問を持ち始める10代の人たちにぜひ読んでいただき、何か感じとってもらえればなって思います。
僕はすでに40歳。過去に戻って学生時代をやり直すことはできません。でも10代の人たちはまだまだこれからです。
「自分はどう生きていくのか」を考えることは、今後の人生でとても大切なことだと思います。
この記事がきっかけになれば嬉しいです!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
GOOD LUCK!
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