母方の祖母のことを僕は「マンションのおばあちゃん」と呼んでいた。
言うまでもなく、マンションに住んでいたからである。
おばあちゃんはおじいちゃんと離婚していて、その後は母の弟、つまり僕の叔父と一緒に住んでいた。
僕の家からバスと電車で1時間30分くらいの距離だったため、よく遊びに行ったりしたものだ。春休み、夏休み、正月、年に少なくとも3回は行っていただろう。
小学生の頃は、友だちがおばあちゃんちに行くのに「飛行機に乗る」だの「新幹線に乗る」だの聞くと、羨ましいなぁと思ったこともある。
でも僕は電車に揺られ、おばあちゃんちに行くのが楽しみでしょうがなかった。
叔父とゲームをする、近所の美味しい焼き鳥屋さんに行く、夜ご飯の前に銭湯に行く、お小遣いをもらえる、何より甘やかしてもらえることに満足感があったのかもしれない。
そしておばあちゃんの作る焼き豆腐は絶品だった。
偶然にも僕が通っていた高校から徒歩5分くらいの場所だったため、帰りに寄ったり泊まって学校に行ったこともある。
社会人になってからも、正月は必ず行っていた。毎年欠かさず。
おばあちゃんは厳しい人で、小学校低学年くらいまではよく叱られたりもした。つまみ喰いをして叱られたとき「鬼ばぁ」と暴言を吐き、ベランダに閉め出されたことを覚えている。今だったら虐待とか言われちゃうのだろうか、、、。
それでもおばあちゃん子だった。きっとそこには「愛」があったのだと思う。
おばあちゃんにとって僕は初孫にあたる。おばあちゃんが一番可愛がっていたのは誰か?と身内に尋ねると、全員僕だと答える。僕もそう思う。笑
おばあちゃんは僕のことを商店街の人たちに自慢げに話す。リレーの選手になった、サッカーでゴールを決めた、行きたい高校に合格した、美容師のコンテストで賞を取った、などなど、、、。
商店街を歩くのがこっぱずかしいくらいだった。
僕もことあるごとに報告していたからでもあるが。
運動会は毎年来ていたし、高校の体育祭も1度見に来た。母が体調を崩せば、即座にうちに来て僕たちにご飯を作ってくれたり、家事をしてくれた。
誕生日、クリスマス、バレンタインデー、特別な日には必ず何かプレゼントをくれた。
高校を卒業し、僕は働きながら通信制の美容専門学校に通うことになる。両立はなかなか大変だったが、どんなに忙しくても正月は必ずおばあちゃんちに顔を出しに行った。
おばあちゃんは僕が行くと言うと、必ず「ご飯はどうする?」「何か食べたいものはある?」と聞いてきた。いくつになっても孫は孫なのだろう。
いつも基本ショートヘアのおばあちゃんがあるときを境に髪を伸ばし始めた。なぜかと尋ねると「あなたがスタイリストになるまで髪を切らない」と答えたのである。
「まだ何年もかかるかもしれないよ」と言っても、「結んでればいいわ」と頑なに切らなかった。
3年の時が経ち、僕はスタイリストデビューした。
いつも通り報告すると、おばあちゃんは僕にハサミをプレゼントしてくれた。そして僕が当時勤めていたお店に初めて来店するのである。
オーダーはおまかせスタイル!
「孫のあなたが切るならどんなスタイルでもいい、自信を持って切りなさい!」
プレゼントしてくれたハサミでバッサリとショートスタイルに仕上げた。やっぱりショートスタイルだなと!
デビューしたばかりでまだまだ未熟だったと思うが、おばあちゃんは文句ひとつ言わず喜んでくれた。
デビューしてから17年、今でもこのハサミを愛用している。
結婚が決まり、直接報告しに行ったときもおばあちゃんはとても喜んでくれた。だけど、、、僕の結婚式の2ヶ月前に突然、心臓の病気でおばあちゃんはこの世を去ってしまった。
夜中に叔父から訃報を聞いたとき、
「あんなに元気だったのに、なぜ今?」
と僕はしばらく呆然としていた。
棺の中で冷たくなっているおばあちゃんに触れたとき、僕は号泣した、、、。
本当にたくさん可愛がってくれた。
いつも僕の味方でいてくれた。
思い出がいっぱいある。
そんな大好きだったおばあちゃん、僕は忘れることはないだろう、、、、。
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