父親の存在

父は僕が13歳のときに病気で他界した。

生きていれば現在68歳だ。

朝家を出るとき、帰宅したとき、寝る前、毎日この3回父の写真に手を合わせるのが僕の習慣だ。

当時、あまりに突然のことで父にもう会えないという実感が湧かなかった。夜中に病状が急変し病院に呼ばれたときも、なにがなんだかわからなかったのを覚えている。

その場にいた身内全員が病室に呼ばれたとき、ベッドで横たわっている父を見てすぐに状況が掴めなかった。

「お医者さんは治るって言ってたじゃないか!」

心電図の振れ幅が小さくなっていく、、、。

このときにもっと声をかけていればよかった。

「お父さん!死なないで!」

「2人でツーリング行くんだろ!」

「まだ死ぬには早いよ!」

全力で叫べばよかった、、、。

時が経つにつれ、「あっ、もう帰って来ないんだな」と身にしみて思い、涙が溢れてきた。父のことを思い出すと今でも涙が出てくる。

とは言っても父と仲が良かったのは妹のほうで、僕は父と二人きりになるとなんだか気まづかった。妹がいるから会話が和む。そんな感じだ。

それでも休日はよく出掛けたり、一緒に遊んでいたと思う。アルバムを見ると父と遊んでいる写真がたくさんある。僕の息子が今5歳なので、僕が同じ5歳の頃のアルバムをたまに見る。

本当にたくさん写真があるのだ。

母言わく、最初の子だったので本当に可愛がってたとのこと。

自動車メーカーに勤めるほどに車・バイクがとても好きで、休日にいじっているのを小さい頃はよくそばで見ていたらしい。なんとなく覚えているが。

いつから二人だと気まづい雰囲気になったのか、、、。

別に嫌いじゃなかったんだけど。

父は温厚な性格で基本怒らない。メガネをかけていて、見た目はやさしいお父さんといった感じだ。妹は「怒られた記憶がない」と言っている。僕は2、3回あったか、、、。

ただこの2、3回がとても印象的でものすごく怖かった記憶がある。

僕が言うことを聞かないときの母の最終手段は「お父さんに言うからね!」だ。

それを言われた僕は、父が仕事から帰ってくるまでになんとかして阻止しなければと必死になる。母に反省の意を示し、謝り倒す。

許してもらえないときは寝たフリをしていたこともある。

母は僕と妹のことで困ったときや悩みがあったとき、「お父さんがいたらなぁ」と何度も思ったらしい。母はとても父を信頼していた。

母だけじゃなく、僕も妹も父がいると安心できたし尊敬もしていた。僕がサッカーの試合でゴールを決めると「かっこいいじゃん!」と褒めてくれた。褒めるときの口癖は「かっこいいじゃん!」だ。笑

そんな父が突然いなくなってしまったのだから、家族三人それぞれ不安や悲しみもあっただろう。

「お父さんがいたらなぁ」

家族三人でたまに話しながら想像する。僕一人でもたまに想像する。「お父さんが生きてたら一緒に飲み行ったりしているのかなぁ」とか「仕事の話をしているのかなぁ」とか「どうやって孫と遊ぶのかなぁ」とか、、、。

当たり前だけど、それはいないから想像するんだと思う。そして僕にとっていい父親だったと思うからでもある。もし普通に生きていれば、飲みに行ったりしてないかもしれないし、仕事の話なんてしてないかもしれない。

それはわからない。

僕はなるべく月一回はお墓参りに行く。父のお墓を掃除していると心が洗われているような気がするからだ。なにより、いつも見守ってくれていることに感謝している。

父が他界して26年。もう26年も経った。僕もあと1年半で他界したときの父の年齢になる。

まだまだやりたいことがたくさんある。きっと父もそうだったに違いない。だからこそ僕はいつも見守ってくれている父に報いるためにも精一杯生きていかなければならないと思う。

一日一日を大切にしなければならないと思う。

今生きていることは当たり前ではないということ。

それでもたまにサボっちゃうときもある。わかっちゃいるけど行動にするのって難しい。怒られちまうな、、、。

自分に息子ができ、父親になって改めて父の存在を思い返す。僕も息子に信頼される父親でありたいと思う。

今も心の中で父は生きている、、、。

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